学校に所属しない生活というのを初めて体験して、なんて自由で楽しいんだ!と何度も思った
○氏名
いきったあくま (仮名)
⚪︎はじめに
私は去年も受験をしました。(15期のときの体験記はこちら)外大に入学しましたが色々あり(詳しくは外大体験記)外大に通うことを諦めて、10月ごろからまたゆげ塾に通い2度目の受験をしました。今年度の生活が特殊なので今回の体験記ではみんなに役立つ一般的なことは言えません。まとまりもありません。個人的な反省や考えたことをつらつら書きます。
⚪︎今年度をとても雑に簡単に、受験勉強の観点から振り返る
4月 外大入学
6月 外大休学
7.8月 途方に暮れる。俗に言う病み期。受験を考え始める。
9.10月 受験勉強を始めることを決意。早慶模試を受けたり、慶應経済の英作文を添削してくれる英語の塾に入る。ゆげ塾にもまた通い始める。
11月 勉強はしていたけど今思えば足りてない。
12月 入試が2ヶ月後に迫っていることを認識。流石に焦り始めて毎日一日中勉強し始める。
1.2月 勉強漬け
○合格校
慶応義塾大学経済学部(進学)
慶応義塾大学文学部
○不合格校
慶応義塾大学法学部政治学科
○模試の成績
⚪︎慶應法学部に落ちた原因を含む全体的な反省
① 受験勉強を本格化させるのが遅すぎた
12月頃まで受験勉強に本腰を入れなかった。前回の受験のようにほぼ毎日一日中勉強するのは辛いと感じ、避けたかった。遊ぶ時間と受験勉強を両立させて、慶應に合格したいと考えた。結果的にはこの受験を通して、自分は遊びも勉強も趣味もなんでも両立器用人間ではないことを改めて強く認識した。少なくとも勉強面で結果を出したい時は、他のことをかなりの程度で犠牲にして目標に向けて全集中しないといけないことが分かった。
②慶應経済を意識しすぎた勉強をした
第一志望である慶應経済を意識しすぎて、慶應経済の問題を解けるようになることだけを実質目標に設定し、世界史の勉強をしていた。(慶應経済の世界史は出題範囲が1500年以降とほぼ決まっています。私が実践した勉強については後述します。)その一方で、志望度の低い慶應文・法では出題される1500年以前(古代中世あたり)の範囲に関しては、東進の一問一答やり、あとはそれぞれ過去問を5年分くらい解けばいいという今思えばだいぶいい加減な作戦で本番に臨んでしまった。単語の穴埋めしか出ない慶應文学部の世界史の問題には、その程度の勉強で一応対応できた。後日採点してみたら危うい知識でなんとか正解したやつ含め8割取れていた。でも試験中めちゃくちゃヒヤヒヤしながら解いた。古代中世が予想以上にたくさん出てしまい、なんだっけなんだっけ、あ!これだ!みたいな感じで。全然スルスル解けなくて焦りまくった。頭の中の資料集の残像で解いたり、忘れたけどこれが聞かれたらこれという謎の勘で解いたりもした。慶應法学部では単純な単語の穴埋めだけでなく、今年は特に難易度が高い並び替え問題や正誤問題が多くあり、その程度の勉強では到底対応できず、落ちた。結局第一志望の慶應経済に受かったんだからいいじゃんと思う人もいるかもしれないが、良くない。もし慶應経済の日に風邪にかかっていたり、試験中にお腹が痛くなっていたりしたら私の進学の選択肢は文学部のみになっていたからだ。やっぱりヤマを張るのは最後の手段だと思う。受験世界史全部の知識がムラなくあれば、どんな問題形式でもなにが出ても基本解ける。どんな問題形式でも基本解ける力をつけるというのが当たり前だがすごく重要だ。受けた年に新形式の問題が出たり、緊張してうまく力が出せない日があったり、予想外の出来事が起きるのが受験本番だからだ。とは言え今回の私の場合に関しては、受験勉強に対して去年ほどのやる気はなかったからヤマを全く張らずに満遍なく勉強しようとしていたら全ての範囲に手が回らず結局第一志望の慶應経済に受からなかったとも思う。
③自分の学力を過信し、調子に乗った
去年慶應や早稲田に合格できた自分にはそこそこの学力があると信じ、なかなか受験勉強を本格化させない自分を守っていた。一回合格できたからといって合格できるわけではないのに。学力を高めるだけでなく維持するのにも相当な努力が必要だということを認識できていなかった。
⚪︎慶應経済のための世界史の勉強、本番直後の手応えなど
慶應経済の世界史の問題は1500年以降を中心に出題されると決まっていて、短めの論述約10題、資料問題、並び替え問題、単語の穴埋め問題等でここ10年以上構成されている。難易度が高く、差がつきやすいのが論述と資料問題。そのため、慶應経済の論述や資料問題を解けるようにすることを世界史の勉強の目標に設定した。1500年以降の範囲をゆげ塾のテキストや世界史の参考書でもう一度理解し、一問一答などで単語暗記をした。並行して論述の参考書を使って出来事の理由、内容、意義等が正確に頭に入っているか確認しつつ、問題の要求に厳密に答え、決められた字数で文章にする練習をたくさんした。論述の参考書の1500年以降の範囲が大体終わったら、慶應経済の過去問を10〜15年分程度解いた。2月あたりの直前期には、ゆげ塾の慶應経済の演習2回分を利用して、自分が書いた論述をゆげ先生に添削してもらい、自分1人では答えが出なかった疑問をゆげ先生にバシバシ質問して解消した。(みんなで交渉してなんとか5人揃って2回目の演習が追加された。すごく嬉しかった。思い出。)資料問題に関しては、2007年の過去問まで遡り出題された資料問題を全て解けるようにした。これが結果的に良かった。本番での最後のグラフ問題が、2009年の大問3問19⑵とほぼ同じ理屈で解け、完答できた。だが正直本番直後、世界史全体の手応えはほぼなかった。最後の資料問題は完答できたものの、慶應経済が好きだと思われる範囲は思ったよりも出なかったしよく分からないアルゼンチンの問題も出たし、何個かめちゃくちゃな答案を書いたりもした。解けた問題はもちろんあったがポロポロ落とした問題もあった。
⚪︎ゆげ塾のはなし
ゆげ先生の説明は面白い。だけどたまに不快に思うことがある。前に女性の英語・国語教師は教えるのが下手だと授業中に言っていた。女性は元の言語能力が高すぎて、できない生徒の気持ちが分からないかららしい。そのあと地頭のよくない男性教師はわからない人の気持ちが分かるから教えるのが上手いと言っていた。ゆげ先生の経験からそのような考えが導き出されたのだと思うし、そう思うこと自体に問題があるとは思わない。ただ塾という公な場で言ってほしくはなかった。私は性別が女なので、なんとなく悲しい気持ちになった。ゆげ先生の批判をしてしまったが、私は全体としてゆげ塾がとても好きだ。ゆげ先生は、世界史を特定の視点から説明するから綺麗に頭に入る。それ以外にもゆげ先生が教育の理念、理想など熱く語っているのを聞くのは面白い。何かに情熱を注いでいる人の話はキラキラしている。ゆげ塾の雰囲気も好きだ。質問したり意見を言うことが全肯定されている。もちろんしなくてもいいのだけど。ゆげ塾には自由であたたかい空気が流れている。
⚪︎最後に
この1年は本当に充実していてかけがえのない1年だった。学校に所属しない生活というのを初めて体験して、なんて自由で楽しいんだ!と何度も思った。その一方で、王道ルートに復帰したい気持ちも常にあった。なんとかして慶應経済に受かったので王道ルートに復帰して自分の人生を少しでも前に進めようと思う。
ゆげ先生、ありがとうございました。
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